追 悼 | |
2000〜2001年度 | 関口 隆 |
国際ロータリー第2840地区ガバナー |
思えば平成11年春未だ浅き頃私はRI第2560地区(新潟・群馬)のガバナーノミニーにご推薦を戴き、このまま行けば宮川先生の後を承け平成13年7月1日からガバナーに就任する予定でありました。仲間のロータリアンに「この次、地区ガバナーになる新潟のノミニーは宮川先生と云ってあなたと同じ大学で年令も同じ位だよ」と云われました。同窓会名簿で調べましたら宮川糧平先生は大正15年3月3日生まれ(私は大正15年11月15日生まれ)、昭和23年東京大学医学部卒産婦人科医であります。たしかに私と同じ年の生まれですが、私は先生が大学4年生の時1年生として入学したことになります。この3年間のずれは先生が早生まれ7つ上りで1年の差、旧制中学4年修了で旧制新潟高校に入学され、私は5年卒業で高校に入りましたからここで1年の差、そして戦時中の学年短縮で高校を繰り上げ卒業されたので又1年の差、合計3年の差が生じたわけであります。 そんな予備知識をもって先生に初めてお会いしたのがロータリーの何かの会でありました。ギリシャ彫刻に見られるような堂々たる風貌で寡黙なお方であります。それ以来先生の次期ガバナーを勤める者として度々ご一緒しご指導を戴きましたが、初対面の時の第一印象に違う処なく、先生に対する畏敬の念は深まるばかりでありました。その後、新潟・群馬の地区分割が行なわれ、私は平成12年7月から新生第2840地区(群馬)のガバナーに就任いたしました。 ロータリーの指導者としての先生は「細事に拘泥せず、物事の本質把握に違背することなければ可なり」とする信念を以って終始せられました。 最後に先生にお目にかかったのは7月2日越後湯沢で行なわれたインターアクト年次大会であります。翌3日から佐渡ロータリークラブを含む4クラブの公式訪問を終えられ、急に容態が悪化し遂に不帰の客となられました。まことに壮絶なご最期であり、ご家族の皆様にとっては痛痕これに過ぐるものはないと拜察申し上げます。 宮川先生は柏崎中学校の秀才として4年修了で旧制新潟高等学校入試に合格、昭和17年4月晴れて入学されました。あの風貌でまぶしいばかりの白線二條の帽子を被り柏崎駅頭から新潟市に向かわれた宮川糧平さんの若武者振りはこの上もなく凛々しかったことと想像して居ります。 私は宮川先生のご指導の下にガバナーとしてこれから1年の職務に励みたいと思って居りましたが、その矢先のご他界でありました。 先生のご冥福を心からお祈り申し上げ、永別のご挨拶とさせて戴きます。 先生 どうぞ安らかにお眠り下さい。 |
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