ガバナーメッセージ
「新年を迎えるに当って」


RID2840ガバナー 関口 隆
(前橋西RC)


 中国の易経に「天行健なり、君子以て自彊じきょうしてまず」とある。天の運行は健やかで一刻も休むことがない。君子もそれにのっとってつとめてやむことのない努力をしなければならないの意である(中国古典名言辞典・諸橋徹次)。
 西暦2000年を終わり、新らしき21世紀の幕開けを迎えて多くの人々は新らしきものへの期待に胸をふくらませていることであろう。
筆者が冒頭に引用した「天行」はもとより人智の及ぶところに非ず、全知全能の造物主の決めた掟である。しかし100年の才月をけみしてこれを一世紀とし、世紀の終末に別れを告げ新らしき世紀を迎えるということは人間世界の行事にして全く人爲的な約束事である。
 そして今、地球上の全人類のうち幾何の人間がこの世紀の変換を意義あるものとしてとらえているであろうか。いやしくも事は宗教に関わる問題である。キリスト教の21世紀、隣国中国の四千年の歴史、その他全世界の宗教の主張を挙げれば枚挙に暇あるまいといえよう。佛法の世界では、かの彌勒みろく菩薩は釈尊入滅後56億7千万年の地上に現われ末法の汚泥にまみれた庶民を救うという。「人間50年、下天げてんのうちを比ぶれば夢幻の如くなり」と謠曲の一節を舞って田楽狭間に向った信長の故事を短かしと云うなかれ、又、彌勒菩薩の現世救済迄の期間を長しというなかれ。共にかんたん邯鄲夢の枕に過ぎない(邯鄲夢の枕:慮生は邯鄲市上で道士呂翁の枕を借りて眠り、一生の栄華の経歴を夢みた。覚めれば黄粱一炊の時間に過ぎなかったという。)
 西暦2000年12月31日と同2001年1月1日の差は暦の上の約束事以外の何物でもない。そこに何か驚天動地の秘め事が隠されていると期待するのは勘違いである。
 我々はありもしない泡の様な夢を追うことを止め、現実に行い得る着実な歩みを続けねばならない。「人間が理想を高く掲げ着実な行動を行う限り、天は必ず応えてくれ、我々を助けてくれるものである。」と「西国立志編」の中でサミュエル・スマイルズは言っている。

 現在ロータリー・クラブが或種の曲り角に来ていることは十目の視るところ、十手の指すところ間違いのない状況であろう。自らが招いた不測の事態は自らの努力によって改善しなければならない。私は100年の歴史を誇るロータリーの持つ自力回復の能力は以て期すべきものがあろうと信じている。
 「毎日掃いても落ち葉がたまる。これが取りもなおさず人生である」と田山花袋は云い、「末世だ、澆季だとは昔の人も言い続けていたことなのである」と高見順は云っている。これらは、我々の行わんとする向上努力を椰楡やゆするものでも否定するものでもない。我々の祖先はそうした環境の中を必死の努力をして生き抜き、現在の我々に繋いでくれたということを戯画ぎが的に示しているものである。
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