R財団奨学生報告書


石関 亮(スポンサー・クラブ:前橋中央ロータリー・クラブ)


遠藤 千亜紀(スポンサークラブ:桐生西ロータリークラブ)



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石関 亮(まこと)
2000-2001年度ロータリー財団奨学生
スポンサー・クラブ:前橋中央ロータリー・クラブ

第一回報告書
 9月19日から10月1日まで、僕はロワール地方の都市トゥールにいました。トゥーレーヌ・フランス語学院という語学学校で2週間の語学研修をするためです。トゥールのあるこのロワールという地域は白を中心とするワインの生産地として、またシェノンソー城を始めとする有名な古城がたくさん残る地域です。また、ここ一帯で話されるフランス語はもっとも綺麗な発音とされていて、そんな言葉を話すフランス人夫婦アンデュランさんのところへホームステイすることから僕のフランス留学は始まりました。
 語学学校の授業は、トゥールの人々の生活を通してフランスの文化や社会制度、考え方などを、時には議論などをしながら学んでいくという形式でした。もちろん語学学校ですので文法の時間もあります。また文化研修という形でほぼ毎日街に出て、グループごとに決められたテーマで情報を集めたり、チョコレート職人や楽器職人の仕事を見学したりしました。こういった個性的なカリキュラムは、語学力が高くないと十分に楽しむことができません。この時点の僕の語学力では話の概要を把握するのが精一杯で、ましてや議論を戦わすことなどできるような状態ではありませんでした。今でもやはり速いスピードで話されたり高度な話題だったりすると内容を理解するのが難しいのがくやしいですけど。でも、クラスに日本人が僕だけだったこともあり、日本人同士でかたまることなくみんなと話したり飲みに行ったりしたので会話の練習にはとてもなりました。また、ホームステイ先での夕食もみんなとの会話は当然フランス語なので、その話し方やよく使う言い回しなどが肌で感じられてレンヌに来る準備として大変役に立ちました。
 10月1日にトゥールを離れレンヌに着きました。これから6月まで生活する場所です。駅では僕のフランスでのホスト・ロータリアンであるアンジェさんが、かつて同じようにレンヌにロータリー奨学生として留学したことのある日本人、小田中直樹さんを連れて僕を迎えに来てくれました。レンヌに来る前に彼と連絡をとり、部屋を探している間泊まれるような場所を尋ねたところ、自分の家に泊まればいいと言って頂いた上に部屋も探しておくとも言ってくださいました。実際レンヌに着いてみるとアンジェさんは一つ非常にいい物件を見つけてアポイントまで取ってくれていました。フランスでは5月で学校が終わり、長いバカンスを挟んで10月から授業が始まります。またバカロレアという大学入試が6月にあり、その結果が分かってからみんな一斉に部屋探しをするため大体の物件は7、8月に埋まってしまうそうです。僕達留学生は普通9月頃に来て部屋探しをするため、かなり苦労するのが実情です。僕の周りの何人かも何軒も不動産屋を巡ったりして苦労していました。そんな状況の中で、幸運にもすぐに部屋を決め入居することができたのも、ひとえにホスト・カウンセラーのアンジェさんのお陰です。彼には他にも銀行口座の開設に付き添ってくれたり、口座に落とした奨学金がすぐに使えなくて授業料や部屋の契約金の支払いができないと分かるとそれを立て替えてくれたりと色々面倒をみて頂き、お陰で非常にスムーズにフランスでの生活を始めることができました。外国で一人生活を始めるのに、後ろ盾があるのと無いのでこうも違うのかと思い、改めてロータリー奨学金という制度の利点を感じました。
さて、レンヌでの僕の生活ですが、基本的に学校に行くということでは日本と変わりありません。今、僕はレンヌの駅の近くに住んでいてバスで大学に通っています。現在、大学の授業のほかに大学付属の語学学校にも登録していて、授業数は大学3コマ、語学学校7コマの計週10コマ20時間です。
大学では修士課程に登録しているのですが、フランスの修士号は1年で取れるので、一応僕も留学期間内で取ることができます。でも非常にハードでフランス人の学生も取るのに苦労しているので、どうなるか分かりませんが頑張ってみようと思います。授業はやはりとても高度で、用語や言い回しもとてもアカデミックなので内容も正直言って半分ぐらいしか分かりません。一応日本から持ってきたミニ・ディスク(MD)を使って録音しています。僕の専攻は日本語では「造形美術学科」といい、作品を理論に基づいて製作する技術を学びます。ただ、ほとんどの技術は学部と学士課程(フランスではこの二つは分かれています。)で学ぶことになっているので修士課程ではほぼ学生の自主性に任されています。僕は技術面で少し遅れをとっているのでもう少し余裕が出たら学士や学部の授業にも出たいと思っています。
 語学学校では中級に所属しています。ここレンヌ第2大学の付属語学学校CIREFE("シレフ"と読みます。)はシステムやカリキュラムが非常にしっかり、かつ個性的で留学生に人気のあるところです。中級ではフランス語の文法はほとんどやりません。生徒はおおよその知識を身につけているというのが前提だからです。ですから授業中で問題となるのは「表現の小さな差」で、「この表現とこの表現は、意味は一緒だけどこっちの方がより文学的。」とか、文章表現の授業でも、例えば「自分の好きな街を"辞書に書かれているように"書きなさい。」とか、とにかくディテールにこだわった授業内容です。その中で変わっているのが会話の授業です。普通会話の授業だと、「ホテルで」とか「友達と会ったとき」といった様々なシチュエーションを基にいろいろな表現を習うのですが、僕のとった授業は「演劇」です。一つのテキストを読むにしても、表情豊かに、はっきりとした発音で読まなければなりません。そのテキストもフランスのお笑いである「コメディー」から取ってきています。一つの役になりきって、みんなの前で演じなければいけませんし、更には、数行のテキストから続きを連想して自分で作品を作ったりもします。大変といえば大変ですが非常に面白い授業で2時間があっという間です。ときには学生の作った作品から、その国の文化とかも垣間見られたりして興味深いものがあります。語学学校には当然ながら様々な国の人々が来ています。普通にフランスに留学していたのではあまり出会う機会の無いような人たちと出会うことができてとてもいい経験だと思います。また、外国に学びに来ているという共通の土台もありますし、なんといっても彼らの高い向上心は非常に刺激になります。
 10月の半ばに一度クラブの例会に招待されました。その時は夫婦同伴のディナーということもあってとても会話が弾んでいました。同じクラブにはもう一人オーストラリアの奨学生がいて、一緒に招待されていました。レンヌには4つのクラブがあり、もう一人の日本の奨学生とマルチ・イヤー・プログラムできたアルジェリアの奨学生がいます。彼らとも仲良くなり色々情報交換をしています。例会の内容はそちらとあまり変わらないような気がします。たまたまその時には他クラブの会長が招待されていて訓話をされていました。ただ、ディナーということもあり時間は非常に長かったです。始まる時間も8時と遅く、最初はアペリティフを飲みながらお互いに挨拶をし合います。フランスでは男性同士や、初めての相手同士では握手して挨拶をしますが、よく知っている女性同士や男性と女性で挨拶する時にはアンブラセと言って頬にキスをし合います。その数は1回、2回、3回と人によってまちまちなのですがある程度地域によって回数が決まっているらしく、レンヌのあるブルターニュ地方では4回するらしいです。でも、今のところ親子同士以外で4回もアンブラセするのを見たことは無いのですが。その挨拶が終わるとみんなで席に着いて食事が始まります。いろいろな話をしながら食事をし、報告や訓話などを聞いて最終的に家に帰ったのは12時近かったと思います。例会は常にディナーと言うわけではなく、昼食会のときもあるそうです。まだ例会は一度しか行ってないのですが、クラブ主催のきのこ狩りにも参加しました。週末の二日にわたって行われていて、僕達奨学生は都合もあって日曜だけ参加したのですが、実はきのこはもうその日の朝に取り終わっていて、僕達は昼食会にだけ出席して帰ることになり残念でした。クラブでの講演はまだ経験していませんが、近いうちにあることと思います。
 フランスを始めヨーロッパでは、今、日本語や日本文化に対する関心が非常に高く、数多くの学生が日本に関する勉強をしています。僕の通っているレンヌ第2大学でも第2外国語で日本語を取ることができます。11月にも日本語の先生が書道の体験学習を企画し、興味のある学生を募って二日間にわたって行いました。その時にアシスタントとして僕達日本人学生も参加しました。日本語を全く知らない人もいれば、日本語を勉強している人もいます。でもみんな始めて筆を持つ人ばかりなので、そういった人たちに持ち方から、 そして書き方まで教えるのはとても難しかったです。アルファベットしか知らない彼らにとって、日本語の文字は絵とか記号にしか見えません。だから最初はみんな書順など考えず、写すことだけ考えています。「払い」を下から書く人もいます。一筆で書くところを分けて書く人もいます。そういった人たちに、書順も含め書き方のこつを教えるのは苦労しましたけど、教え方など自分も知ることが多くとても刺激的な経験でした。
 11月の24、25日とブレイス語の講座に参加しました。ブレイス語とはアイルランド語やウェールズ語、スコットランド語と同じくケルト語の流れを汲む言語で、ブルターニュのマイノリティー言語です。ブルターニュの人々はそのせいかアイルランドに非常に親近感を抱いていて、レンヌにもたくさんのアイリッシュ・パブやアイルランド製品を専門に扱うお店があります。そんなパブの一つにブレイス語学科の友達と行ったときに知り合った人がブレイス語学校の校長先生で、その人にその講座を紹介され、よければ招待するとも言ってくれたのでいい機会と思い行くことを決めました。講座が開かれる場所はレンヌから車で1時間ほど南に行ったところです。僕は全く基礎がないので「レベル"0"」というコースです。初心者といえども集中講座なので簡単な挨拶から動詞の活用や過去形などの文法まで学びます。授業の合間の休憩時間にはみんなでホールに集まりコーヒーや紅茶、さらにはビールを飲んだりします。夕食後も授業があるのですが食卓にはワインやシードルというりんごを発酵させて作った炭酸アルコール飲料が並んでいたので、みんな気持ちよく授業を受けていました。もちろん教える先生もです。授業を終わった夜は夕食を取ったホールで「フェス・ノス」と呼ばれるブルターニュ地方独特のパーティーです。ブルターニュの伝統的な音楽に合わせて一種のフォークダンスを踊るのですが、本当に「老いも若きも…」という表現がぴったりの熱気です。僕もその前に何度かフェス・ノスに参加していたのですが、ステップが何通りもあるのと、それを踊る音楽が決まっているのとで、なかなか覚えられずいつもみようみまねで踊っています。音楽も何人かが楽器を持ち寄って演奏したりします。陽気に踊っている人もいます。ただただお酒を飲んで周りと雑談している人もいます。ブルターニュのハープを持ってきた人が突如演奏を始め、コンサートのようにみんなで聴き入ったりするなど、本当にそれぞれがそれぞれの楽しみ方をしていました。ブレイス語の勉強については全然始めたばかりですし、これから続けていくかは分かりませんが、この集中講座はフランス語で他の言語を習うという貴重な経験でもありました。
 この報告書を書いているのは12月の5日です。日本を発って約2ヵ月半。レンヌに着いて2ヶ月。留学終了月が6月です。残り後7ヶ月弱。もっともっとやりたいことがあります。もっともっと行きたいところがあります。もっともっと知り合いたい人がいます。そのためにもっともっと時間を有効に使って悔いのない1年にしたいと思います。最後に、僕にこの貴重な1年をくれたロータリー・クラブの皆さんと、僕の留学を支えてくれている皆さんに感謝すると共に、一緒に留学を開始し、今でも連絡を取り合っている大切な5人の群馬・新潟両地区の奨学生にエールを送ります。



先頭へ
遠藤 千亜紀
2000-2001ロータリー財団国際親善奨学生
スポンサークラブ:桐生西ロータリークラブ
専攻:音楽(ピアノ)
私の先生:MR.GEOFFREY MADGE

最初の2ヶ月はあらゆる意味で大変でした。移民の多いオランダ(殊に都市)ならではの社会問題、住宅難のあおりをうけ、私は自分のアパートを見つけることができなかったのです。その間は日本人のお宅(よくパスポートなど盗難にあった人がお世話になるところ)に仮滞在させて頂いていました。
部屋探しは困難を極めました。ですが、私のホストRCカウンセラー、Mr.Blomhertが懸命になって探して下さったおかげで、今は快適な生活を送っています。Studioタイプなのでほとんどものが自分専用です。
シェアしているのは洗濯機くらい。私のアパートの住人はみんないい人たちばかりなので安心です。また私の住むこの通りは治安のいい通りで、近くには日本大使館、外事警察、いくつかの美術館、平和宮などがあり、静かで美しいところです。(うちの隣はギリシア正教の教会なんですよ!)また、ホストRCのみなさんから無償で家具をお借りすることもでき、大変感謝しています。
クラブのみなさんは気さくで明るくていい方たちばかりです。
Mr.Blomhertをはじめみなさんには本当にお世話になっています。

10月7、8日とデン・ハーグ市内の旧教会でジャパンフェスティバルがあり、友人を連れて行ってきました。もちろん外国人の友人と。
私は彼女達の専任通訳として日本の文化を紹介しました。彼女達だけではなく私にとってもこのイベントは日本の文化を再認識するいい経験でした。
文化を通じてのコミュニケーションはとても価値のあることだと思います。
友人達は非常に喜んでおり、日本に対する興味が増やしたと言ってました。
私はすでにバナー交換を済ませました。
昼と夜の会合に2度ほど出席しました。もちろんすべてオランダ語で進行されます。まだ私には理解できませんが、いいヒアリングの連絡になっています。次回の夜の例会で、できれば、私の故郷桐生(群馬)についてのスピーチに挑戦したいと思います。

私のピアノの先生であるMr.Madge(マッジ先生)はとてもすばらしく、私の求めていた理想の先生です。彼の指導は生徒1人1人に、それぞれに見合った指導をしてくれるので、私を含む彼の門下生はのびのびとピアノを学んでいます。
彼は「きみはレッスンのたびに成長しているよ。」とおっしゃってくれました。
私も自分自身手に取るように自分の演奏がより改良されていることに気づきます。
ですが、だからこそ壁にぶちあたるのも事実、今もたくさん楽譜が山積みになっているのをみてため息をついているところです。(笑)
幸か不幸か、私は毎月なんらかの形でコンサートやワークショップでピアノを演奏しなければなりません。最低月2回は出演しています。さらに、今伴奏の依頼が殺到しており、現在5人の友人の伴奏をしなければならなく、そのうえ自分のソロ以外にも伴奏の練習をしなければならないので、本当に大変です。
ですが、それだけ信頼されていると思うとうれしいです。また、中には私のピアノの先生から「伴奏ならちあきに頼みなさい」と紹介された子もいるので、なおさらうれしく思います。

私は幸いたくさんの友人に恵まれています。それも日本人に限らず国際色豊かです。それぞれみな親友と呼ぶにふさわしいくらいで、強い信頼関係がたった3ヶ月で構築されているというのは自分でも驚きです。いく人かの日本人の友人が「オランダに来てすぐにこんなに外国人の友達ができるなんてすごいよ。たいていみんな英語を気にして話しかけられないから外国人の友達作るのは時間がかかるのに。」と話していたくらい、私のようなタイプは稀だそうです。(笑)

私はオランダが大好きです。しかし時折、天候に関しては好きとは言えません。
晴れてたと思ったら雹(ひょう)、なんてこともあります。この時期はたいてい曇りです。雨もよく降ります。
オランダは音楽を勉強するにはいいところだと思います。
先生方は強いるということをしません。
学校の雰囲気も自由で開放的です。
王立音楽院は世界有数ということもあり、各国から留学生がたくさん来ています。
できれば、私は自分の専攻のピアノ以外にも古楽の勉強をしたいと考えています。オランダは古楽の研究のさかんなところで、そのレベルも世界一です。
求めれば与えてくれる場所にいながら勉強しないのはもったいない気がするので、さっそくピアノの親ともいえるチェンバロの勉強を始めたところです。
これを勉強することはピアノを演奏することに非常に役立ちます。ピアニストはチェンバロを勉強する必要があると思います。
私はできることならどんな鍵盤楽器も弾けるピアニストになりたいので、来年はフォルテピアノ(チェンバロと現在のピアノの合の子のような楽器)やパイプオルガンなども勉強したいと思っています。

今、「日本の音楽のコンサート」を計画中です。
私の友人(もちろん日本人)5人と来春にでもと試行錯誤しています。
日本の独特の音階を用いた作品はあまりこちらでは演奏されていないので、きっとたくさんの人が興味を持ってくれることでしょう。
またこのコンサートは私の「国際親善奨学生」として親善事業の一環です。
日程はまだ未定ですが、決まり次第お知らせします。また、この模様の写真もお送りできると思いますので、楽しみにしていて下さい。

AVROオランダ放送(TV局)が私を密着取材することになりました。
今彼らは王立音楽院に留学している学生ドキュメンタリーを作成しており、日本から来た学生として私がピックアップされました。
すでに個人インタビューは終わりました。次回から撮影もされるらしいです。
この取材は夏くらいまで続くそうなので、放映まではだいぶ期間があります。
そのことについてもたびたび報告できると思いますので、私の活躍ぶりを楽しみしていて下さい。
以上

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